出産してから、少しずつ時間が過ぎていった。
次女はNICUにいる。
大きく状態が変わるわけではないけれど、まだまだ予断を許さない。
私は病室で過ごしながら、予約した時間になると次女に会いに行く。
そんな毎日が始まっていた。
出産前から、私は個室を希望していた。
「個室がいいです」
そう伝えていた。
そのときは、ただゆっくり過ごしたいと思っていたのだと思う。
でも、産後になって思った。
個室にして、本当によかった。
いつでも泣けるから。
誰にも気を遣わずに泣ける。
泣いたあと、何事もなかったように顔を拭いて、また次女に会いに行く。
そんなことが、何度もあった。
そして、産後の私にとって大きな仕事になったのが、搾乳だった。
4時間おきに搾乳する。
最初のうちは助産師さんに手伝ってもらっていたけれど、少しずつ慣れてきて、自分でできるようになった。
搾乳機は、手動のものが2種類あって、自分に合うほうを選ぶことができた。
必要なものをナースステーションまで取りに行く。
搾乳する。
母乳にラベルを貼る。
そして、一度ナースステーションで預かってもらう。
面会の時間になったら、それを持って次女に会いに行く。
そんな流れだった。
でも、搾乳って思っていた以上に時間がかかる。
4時間おき。
終わったと思ったら、また次の時間がやってくる。
しかも、これから退院したあとも続いていく。
「ちゃんと準備しておかないと」
そう思って、電動の搾乳機をネットで購入した。
退院後の生活に備えるためだった。
次女が退院できるのは、まだ先になるだろう。
私はもう、次女がいない家に帰る準備をしていた。
朝になると、病院の朝食が運ばれてくる。
質素な病院食。
長女のときは産院だったから、もっと豪華だったなぁ。
そんなことを思いながら、ご飯を食べる。
でも、とてもおいしかった。
食事は、辛い現状を忘れられる楽しみな時間の一つだった。
そしてこういう何気ない時間も、少しずつ増えていった。
ただ、身体はまだ出産したばかり。
後陣痛が辛くて、痛み止めを飲むこともあった。
助産師さんは定期的に病室へ来てくれて、私の様子を見てくれた。
母乳の状態を確認してくれたり、
子宮がちゃんと戻っているかを確認してくれたり。
身体のことだけじゃない。
「大丈夫?」
そう聞いてくれる。
私はたくさんの助産師さんと話した。
本当に頼りになる良い方ばかりだった。
不思議だった。
助産師さんと話しているときは、私は素直になれた。
「大丈夫です」
そう強がるのではなく、
泣きながら今の気持ちを話すこともあった。
たくさんの人に支えてもらいながら、
私は少しずつ、自分の身体と心を落ち着かせていった。
助産師さんって、本当にすごい仕事だな。
心からそう思った。
そして、決められた面会時間になると、私は次女のところへ向かう。
搾乳した母乳を持って。
肘までしっかり手を洗ってから
NICUの中に入る。
そこには、たくさんの機械とチューブに囲まれた次女がいる。
抱っこすることはできない。
授乳することもできない。
できることは、限られていた。
だから私は、チューブや機械のないところを、そっと触る。
小さな手。
小さな足。
頬。
触れられる場所を探すように、そっと触れる。
「来たよ」
そう声をかける。
それだけだった。
でも、それが私にできることだった。
この頃の面会では毎回泣いていた。
独特な空間。
日の光が入らない狭い空間。
静かな赤ちゃんたち。
面会中に泣いている他の家族。
沢山の医療機器。
どこかでずっと鳴っているアラーム。
忙しそうな医師、看護師さん。
すべてが、現実とは思えないような空間で
次女に対する罪悪感が増していくようだった。
次女が霞んで見えなくなるくらい目に涙が溢れる私。
次女を担当してくれていた看護師さんは、
そっとティッシュを渡してくれて、背中をさすってくれた。
ここにも、私の居場所があるんだ。
こんな私がいてもいいんだ。
そう思い、面会を重ねるごとに
少しずつこの空間に慣れていくことができた。
面会が終われば、また病室へ戻る。
そして、また4時間後には搾乳。
搾乳が終わったら、少し休む。
食事をして、助産師さんと話して。
そして、また次女に会いに行く。
そんな毎日が繰り返されていった。
次女の状態は、大きく変わらない。
でも、私の中では少しずつ変化していた。
最初は、
「どうしたらいいんだろう」
と何も分からなかった。
それが少しずつ、
搾乳をすること。
母乳を届けること。
次女に触れること。
次女の状態を聞くこと。
そして、自分の身体を休めること。
ひとつひとつが、日常になっていった。
病院にいることが、少しずつ私にとっての「普通」になっていった。
※この記事は個人の体験をもとに書いています。
医療上の判断については、必ず主治医・医療機関にご相談ください。



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