「あと1週間くらいでしょう」
と言われたあの日から、
ずいぶんと時間が経っていた。
最初に異常が分かってからは、
3か月が経っていた。
赤ちゃんは、
まだお腹の中で生きていた。
そして、
また妊婦健診の日がやってきた。
いつものようにエコーをしてもらう。
私はもう、
以前ほど怯えなくなっていた。
もちろん、
何か悪いことを言われるんじゃないかという怖さはある。
でも、
この子がここまで頑張ってきたことを、
私は知っている。
今回、
まず気になったのは羊水だった。
羊水は前回より多くなっていた。
これまで、
「羊水が少ない」
と言われていたのに。
また、
状態が変わっている。
お腹の中は、
私には見ることのできない場所。
だからこそ、
エコーの画面に映る小さな数字ひとつひとつが、
この子の状態を知るための手がかりだった。
血流も確認する。
この頃には、
大きな悪化は見られていなかった。
心臓の周りの水は、
前回より大きく変わらず。
でも、
心臓そのものの大きさは、
以前のような拡大した状態ではない。
そして、
お腹に水が溜まっている様子もなかった。
一見すると、
落ち着いているようにも見える。
でも、
血管の抵抗はまだ高い。
だから、
「もう大丈夫」
というわけではない。
もうひとつ、気になるところがあった。
子宮頸管の長さは、既に
17mm。
短くなっていた。
この時は、34週0日。
34〜36週くらいで、
2cmを切ってくると、
入院になることがある。
と教えてもらった。
長女の妊娠の時も切迫早産で自宅安静だった。
長女の時と同じだ。
体質なのかな。
そう思った。
この状況を確認した先生から、
これからのことについて、
改めて話があった。
もし陣痛が始まったら、
15分間隔くらいになったところで連絡する。
そして、
自分たちで救急車を呼ぶのではなく、
まず病院に連絡する。
必要なら、
病院側で搬送を手配してもらう。
その時の赤ちゃんの状態によって、
都度相談しながら対応を決める。
その為、出産は小児科医の立ち合いになると思う。
もう、
出産がいつ始まってもおかしくない。
そういうところまで、
来ていた。
まだ出産予定日は1か月も先。
でも、この日から私は、急に思い立ち
出産準備を進めた。
産後は母に来てもらう予定だったので、
母が滞在するための部屋の準備。
母へのプレゼントの準備。
陣痛&入院バッグの準備。
これまで私は、
「この子がいつ亡くなるんだろう」
と思いながら、
毎日を過ごしてきた。
でも今は、
「生まれそう」
というところまで来ていた。
私は、
お腹を見つめた。
ここにいる。
まだ、
私のお腹の中にいる。
長かった。
本当に、
長かった。
「脳室が大きい」
と言われた日。
大学病院で、
脳の異常を告げられた日。
「あと1週間くらい」
と言われた日。
羊水検査をした日。
結果を待った日。
サイトメガロウイルスを、
何度も何度も検索した日。
「強い子だね」
と言われた日。
生まれた後の治療について、
先生たちと話した日。
そして、
「もしかしたら生きられるかもしれない」
と思い始めた日。
気がつけば、
ここまで来ていた。
怖い。
もちろん、
怖かった。
この子が生まれたら、
何が起こるのか分からない。
元気に泣くのか。
呼吸できるのか。
すぐに治療が必要なのか。
私が抱っこできるのか。
そもそも、
生きて生まれてきてくれるのか。
何ひとつ、
分からない。
それでも。
ここまで一緒に来た。
お腹の中で、
何度も危ないと言われながら、
この子は生き続けた。
私は、
この子が生まれることを、
本当に少しずつ待てるようになっていた。
この先、
いつ生まれてくるのか。
どんな顔で、
この子と初めて会うのか。
そして、
この小さな命が、
その先どこまで生きてくれるのか。
何も分からない。
ただひとつ分かっていたのは、
もうすぐ、この子に会う。
ということ。
長かった妊娠生活。
最初は、
ただ元気に生まれてきてほしかった。
途中から、
生まれることさえ、
想像できなくなった。
そして最後には、
生まれてくるかもしれない未来を、
少しずつ受け入れ始めていた。
そして、
出産準備も終わった、2日後。
いよいよ、その時が
静かにはじまる。
※この記事は個人の体験をもとに書いています。
医療上の判断については、必ず主治医・医療機関にご相談ください。



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