第8話|「この子は、普通の子の脳の構造とは違う」

妊娠中のこと


大学病院で、教授の先生の診察を受けました。

画面に映る赤ちゃんを見ながら、
先生は一つひとつ、丁寧に説明してくれました。

脳室が広いこと。

小脳虫部が欠損しているということ。

頭の大きさも小さいこと。

羊水が少なめだということ。

聞いたことのない言葉が、次々に出てきます。

今、目の前の先生が話しているのは、

「もしかしたら」

という話ではありませんでした。

お腹の中にいる赤ちゃんの脳に、
いくつもの異常がある。

その現実を、
一つずつ突きつけられているようでした。

私は淡々と「はい」と頷いていました。

夫は、違いました。

先生の話を聞くうちに、
どんどん顔色が変わっていきました。

冷や汗をかいて、
明らかに動揺している。

私はそんな夫の手を握りました。

初めて見る夫の明らかな体調不良に「大丈夫?」と思わず声を掛けました。

それなのに。

私は、なぜか平気でした。

悲しくなかったわけじゃない。

怖くなかったわけでもない。

ただ……

現実味がなかった。

先生が話していることが、
自分の身に起きていることだと思えなかったんです。

「脳室が広い」

「頭が小さい」

そんな言葉を聞いても、

どこか遠くで起きていることみたいでした。

なんだか、
いつもの私のまま。

今思えば、
それが私の「現実逃避」だったんだと思います。

逃げたかったわけじゃない。

考えたくなかったわけでもない。

そもそも、
まだ現実として認識できていなかった。

だから私は、
いつも通りの顔をしていた。

先生は、さらに説明を続けてくれました。

脳の形について。

小脳について。

そして、

「この子は普通の子の脳の構造とは違います」
「Dandy-Walker variant(ダンディーウォーカーバリアント)を疑っている」と。

聞いたことのない言葉。

もちろん、その場では意味もよく分かりません。

でも、

「何か、普通とは違うんだな」

それだけは、少しずつ分かってきました。

ここまで来て、
私の中に別の感情も湧いてきました。

なんで?

なんで最初のクリニックでは、
ここまで分からなかったの?

最初に「脳室が広い」と言われたとき。

「緊急性はない」と言われて、
大学病院の予約を待っていた。

その間に、私は必死に調べて、
別の病院にも行った。

そして今、
大学病院でこんなにもたくさんのことを言われている。

だったら、

もっと早く分かっていたら。

そう思ってしまいました。

怖い。

悲しい。

どうしていいか分からない。

そして、

怒り。

いろんな感情が、
一気に押し寄せてきました。

夫は、ずっと黙っていました。

私は握っていた手を離さずにいました。

今振り返ると、

あのとき一番現実に近かったのは、夫だったのかもしれません。

私はまだ、
現実から少し離れたところにいた。

まるで映画を見ているみたいに。

自分たちのことなのに、
自分たちのことじゃないみたいに。

このときの私は、

「障害のある子どもを妊娠している母親」

なんて、自分のことを一度も思っていませんでした。

ただ、

「ちょっと心配なところがある赤ちゃんを妊娠している私」

そのくらいだったと思います。

だから、泣かなかった。

取り乱さなかった。

そしてたぶん……

まだ、本当の意味で怖がることすらできていなかった。

これが、

私の「現実逃避ママ」の始まりだったのかもしれません。


※この記事は個人の体験をもとに書いています。

医療上の判断については、必ず主治医・医療機関にご相談ください。

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